先日、ニューメキシコ州ファーミントンで
警察が通報のあった家を間違え、
そこの住人を銃で撃ってその人が死んだというニュースがありました。
日本のYahooニュースでも取り上げられていたこの事件。
夜、ドメスティックバイオレンスの通報を受け、
警察が向かった家が間違っていたわけですが、
正直、夜の11:30頃。すでに寝ていた又はリラックスしていたであろう人たち。
普段からここアメリカで『身を守るもの』として銃を持っていたら、
こんな夜中に来る人なんて、”強盗か何かか?”と銃を持って玄関に出るのは
当然なのかなと思います。
Yahooニュースでは「警察と名乗った」とありますが、
こちらのローカルニュースでは、
最初にノックした時にのみ名乗っており、
住人がドアを開けようとしている時(開けた時)には名乗っていないそう。
つまり、奥の部屋にいて、だれかがドアをノック&何か言ってる
というのみ認識して、危険を感じて銃を持ちドアを開けたら撃たれた。(即死)
ということなのだと思います。
(実際、様子を見に来た妻も撃たれて倒れている夫を見て、
警察だとわからずに銃で警察官に向かって発砲している)
ここで、思うのは
・銃を持っていなかったらどうだったのだろう
・警察官は「銃を向けてきた」=「撃つ」であり、
「発砲してきた」=「撃つ」ではない。
すると、『銃は本当に身を守るものなのだろうか』ということ。
『銃が逆に自分を危険にさらすもの』になるのではないかと。
今回は、警察を責める人もたくさんいるし、
この亡くなった方には本当に残念だと思うけれど、
銃容認派の人たちは、よく、
銃乱射のような事件が起きたとき、
相手が自分に向かって攻撃(銃含め)してきたとき、
『ほら、やっぱり銃が必要じゃないか』と言うのですが、
実際にそうなった時、自分の命の危険を冒してでも銃で反撃しに行くのか。
と思うし、
普段、知らない人が訪ねてきたとき、ちょっと物音がしたとき、等々
過剰反応して、自分が殺される又は間違った人を殺してしまうことがあるのではないか
そうも思います。
ミズーリ州では、間違った家を訪ねた16歳の黒人の男の子を、
家の中から銃で撃った82歳のおじいちゃんが問題になっている。
アメリカでは、子どもの死因の一番が銃によるもの。
いつまでたっても、銃いるの要らないの、論争は終わりそうにありません。
私はとりあえず、ペッパースプレーを持ち歩くようになりました。
追記)この数日間の間にも
・間違って私有道に入ってしまった車に乗っていたグループ。
車からも下りず、引き返そうとしているところを住人に撃たれ、
・友だちの車と間違え、助手席に乗ってしまった女子高校生。
間違いに気づき車を降り、正しい友達の車に乗るも、
間違えてしまった車に乗っていた男に撃たれ、危篤。(テキサス州)
という明らかに、攻撃してきていない人を過剰反応で撃つ事件が発生。
どうなってんだ、アメリカ。