の続き
東京から新幹線で長野へ。
そこからレンタカーして、地元に。
翌週から小学校に3週間一時体験で入学する娘。
色々買い込んだり、小学校に挨拶に行ったりで
長野入りして1週間は準備期間に当てました。
ラッキーなことに地元に住むいとこの末っ子が
この春、同じ小学校を卒業したばかりで
ランドセルや給食の道具、紅白帽や筆箱など
いろいろ貸してもらえたので、かなり助かりました。
とはいえ、夏でプールの授業もあるし、
さすが日本、雑巾や袋などにもサイズや色の指定などがあって
さらには、クレヨン・ペンなどにもすべて名前記入が必要で
なかなか準備も大変でした。
学校がスタートする前は、社交的な娘も
さすがに緊張していたようですが、
初日にクラスに行ったら、さっそくクラスメイトたちが
ちやほやしてくれて、翌日からは学校楽しみになった娘でした。
過疎化が進んで、1学年1クラスしかなく、
アットホームでそれも良かったのかもしれません。

来年には小学校は他の小学校と統合されて別の場所・名前になってしまう予定。
ちなみに、
地元の子どもたちはほぼ、徒歩で通学していましたが、
我が家は不安なので、毎日、車で送り迎えしました。
やはり事件は付き物で、
1週目の金曜日の夜から熱を出した娘。
病院に連れて行くと”溶連菌”に感染していることが判明。
土日月と療養し、火曜日には学校へ。
しかし、体調も100%でなく、
一度、お休みしてしまったせいか、
水曜日は学校に行きたくない!と泣き渋り。
朝から免許の更新のために外出せざる得なかった私に
困り果てた母から電話がかかってきたのでした。
仕方なく、その日はお休み。
翌日、木曜日は何とか学校に行き、金曜日は元々、
合流する予定の夫を迎えに行く予定があったのでお休み。
と言うことで2週目は2日のみの通学となりました。
アメリカから後追いで合流した夫と

葛飾北斎が描いた天井画「八方睨み鳳凰図」で有名な岩松院へ行きました。
気分転換できたのか、最後の3週目は
毎日、元気いっぱいに学校に通うことができました。
最終日は、クラスみんなから寄せ書きももらって、
先生からも「4月からずっと一緒にいた気がするくらい
クラスになじんでくれました」
と言ってもらいました。

最初、「なんで同じ洋服着なきゃいけないの」と言っていた娘も
最後にはすっかり馴染んでました。
日本語は第二言語、
読み書きはひらがなを勉強し始めたばかりの娘が
小学1年生のタイミングで
日本の小学校に体験入学できたことは
学力的にも文化的にも、非常に学びが多く
やってよかったなと思います。
実際、娘は日本語力もかなりアップし、
ひらがなも前より読み書きできるようになりました。
そして、「日本人の自分」 になんとなく前より
誇りを持っているような気がします。
給食当番や掃除。
みんなで声を揃えて何かを言う。
一緒にみんなで朝顔を育てる。
プールの時間に自分だけで着替えをする。
こういう経験はアメリカではできないので、
本当に貴重な経験をさせてもらいました。
(しかし、日本の先生は本当に大変な仕事!
毎日、クラス通信を発行したり、プール一緒に入ったり、
尊敬しかないです)
できれば、2年生ぐらいまでは…
来年も行かせてあげたいなと思っています。
つづく